北九州市の文化財(北九州市教育委員会)、悟りの美(福岡市美術館)参照
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この像は一面六臂の坐像で、現在宝髻を失っている。桧材の寄木造りで玉眼を嵌入し 、漆箔および彩色が 施されている。面長な顔に大きな目鼻をもち、衣文は大まかな襞を重ねて南北朝時代の特色をみせている。 6本の手にはそれぞれ異なった持物や手印を示している。 胎内の墨書の建立名や修理銘から暦応3年(1340)に同寺講堂の本尊として造立され、仏師は運慶の5代の 孫を名乗る康誉、康尊であることが知られている。 |
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本像は「然が請来した清涼寺の釈迦像を写したもので、西大寺をはじめ多くの西大寺系の寺院に備わる。細身の体に周到に細かく規則正しく刻まれた衣文はまさに清涼式の 釈迦像の特徴である。 流麗な衣文を表現し、体躯の穏やかな抑揚など、彫刻は優れ、14世紀前半の作例と思われる。 |
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北部九州にあってはきわめて洗練さらた大型の金剛力士像である。引き締まった体躯、シャープな姿態 面相、流れるような衣文など、地方ではなく中央で作られた作例であることを示している。 |
舎利殿は方一間(2.72m)の小堂で、屋根は一重、宝形造、こけら葺とする。 昭和初期以降は仏堂として用いられたため、背面を迫出して仏壇を設けるが、当時は中央に舎利塔を安置し、 四方に縁を巡らして建具を構える形式で、舎利殿に相応しい求心的構成の建築様式であった。 舎利殿の建立は、同寺の「縁起」や組物の肘木、木鼻の絵葉の様式から元禄3年(1690)と考えられる。 大興善寺の舎利殿は市内に現存する唯一の例であり、県内にもその現存例はなく貴重である。 山門と同じく平成12年より14年にかけて解体復原工事が行われ、その際、桟瓦葺よりこけら風銅板葺となる。 |