大興善寺に伝わるいくつかの言い伝えをご紹介します。
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大興善寺には、「おっぱいの木」と呼ばれている樹齢400年を越える楠が あります。幹の中程に 大きなこぶがふたつ並んでついています。 まるで、お母さんのおっぱいのように見えます。 出産後お乳のでない女性がこのこぶをなでると、ふしぎとお乳が出るようになるそうです。 |
大興善寺には、仏舎利(お釈迦様の遺骨)が、伝わっております。 本物の遺骨ではなく貴石です。 元禄10年小笠原田忠雄公の時に旱魃があり、諸寺院に命じて雨乞いの法要を行わせましたが 効果が 無かったそうです。そこで、大興善寺の仏舎利を 菅生の滝(北九州市小倉南区道原)につけて、 雨乞いを行ったところ 忽ち雷鳴轟いて降雨があり以来、旱魃の年ごとに この方法で雨乞いを 行い、とても霊験あらたかだったそうです。 |
大興善寺は鎌倉時代に時の執権、北条時頼公の命により 佐野源左衛門尉常世によって寛元3年(1245) 建立されました。 時頼公歿後、寺領の南端を花園といい、御堂を建て時頼公を祀っていましたが、 現在は 時頼公と佐野源左衛門の石碑が立っています。 |
玄海律師の時代、寺の周りにはよい水がなかったそうですが、 律師が寺の南の高崖の上に坐して阿字観(坐禅のような修行) を修したところ 忽ち崖下より清泉が湧出したそうです。 その湧き水は色が徴碧で、 汲みて飲めばすばらし くおいしい水でお茶のお手前などに利用されていたそうです。現在も本堂の後ろに金剛水という湧き水が あります。 |
律宗当時の1338年頃(最盛期)住職の玄海律師は戒徳密行、人々に 重んぜられ、寺を治めておられましたが、 ある日、一室に坐して 阿字観を修しておられたとき、山林寂静の中、 修行の妨げにならないようにと、 蛙が鳴き止んだそうです。 このときより今にいたるまで寺の境内周囲に 蛙の鳴くことがありませんでした。 紫の池に蛙鳴かずという 云い伝えが現在も残っています。 |